まっさらな状態だからこそ発信できることがある。
ゆり(管理人)
カラーリーフクラフト
ドラマのワンシーンを観て、頑張ってきた人々のことをその行動としてではなく偏見で判断して全否定されていると感じた。
人生で良い行いだけをしてきたとは言い切れないけれどその人の全てを観ていない人から全否定される筋合いはないと腹が立った。
このシーンに反応するということは自分自身にもあるのかもしれないと思った。
否定してしまう気持ちとそれをされて憤る気持ち両方ともあるのだろう。
否定したくなるのは自分を肯定したいとか守りたいものがあるからなんだろうな。
何を守っているのかな?認めたら何かが崩れてしまう気がするのかも。
全否定でなくても、自分が行ってきた行動を無かったようにしていないだろうか?
自分を肯定するために否定するって言葉だけ見るとわけがわからないね🤣矛盾。
一生懸命生きてきたのに他者と比べてまだまだだからと自分の中で歪めていないか?
過去に言われたひと言を今は誰からも言われてないのにずっと自分に言い続けていたりしないか?
「頑張る」というのも感覚的な一意見でしかないけども…
幸せだったとか不幸だったとかその人の感覚はその人にしか決められないことで勝手に決めて欲しくないとは思っている。
けれど、他者がそう感じるならそれもただのその人の気持ちなので私がどうこうすることではない。
自分自身を自分で真っ直ぐ観れているのかな?
色眼鏡をかけていないかな?
良くも悪くも両方の立場が自分の中にも存在していて、でも結局は私という生命を守ろうとしているものだったりするのかも。
そう思ったら和解できそう☺️
そんなことを思った時間でした。