不利益、負担、不快、困り事はあっても大丈夫。
「自分さえよければいい」
この言葉を読んだ時、私は「迷惑をかける」という概念をくっつけているなって思った。
私がいい状態=他の人が悪い状態。とも違うのに勝手にそういうふうに繋げちゃってた。
失礼しました😅
自分がいい状態が必ずしも誰かの迷惑になるわけがないのにね。
逆に全く誰にも迷惑をかけずに生きるのも不可能。
でもまあ、自分が不幸な気分になっている時の方が不機嫌だったりで周りに迷惑をかけてそう。
不幸だ〜って人が周りに居るより幸せに居てくれてる方がありがたいもんね。
迷惑をかけてはいけない?
思春期に祖父母と同居することになり生活が変わった。祖母は近所や世間体を気にするのでよく「近所の人に迷惑がかかる」と言われた。
今思えば、近所の人って言ってるがおそらく自分(祖母)が迷惑してるって事だったんだろう。
私は「人に迷惑をかけてはいけない」を強く採用してしまった。
そもそも迷惑とは?
言葉の意味としては「他人の行為で不快になったり困ったりすること」
不利益、負担、不快、困らせる…全部あったらダメだって思ってるわ(笑)
私も結局は、”人に”と言ってるが自分にそれが降りかかるのが嫌なんだ。
- 不利益を被るのは嫌だ。
- 負担を感じたり背負いたくない。
- 不快を感じたくない。
- 困る(悩む?)のは嫌だ。
かと言ってその気持ちを持ってないように振る舞うのも違う。
嫌だと思っていい。
他人の感情はコントロールできない
迷惑だと思うのも相手の自由。思うかもだし思わないかも。
自分と概念が同じとも限らない。逆に喜ばれる可能性だってある。なので気にしても仕方がない。
不利益、負担、不快、困り事はあっても大丈夫。
「自分さえよければ」→自分がまず幸せになるということかな。
不利益、負担、不快、困り事があっても大丈夫な自分、それは嫌ですって断ったりできる自分になる。
ネガティブに蓋をするのではなく淡々と処理する。
受け流すってイメージもいいのでは?言葉の意味としては受けずに流すのだろうけど、受けて(これは自分の人生に不要だと認識して)から流す。
流す→手放す、対策する、解決する。
人生は波のように上がったり下がったりするから、一時的に不利益、負担、不快、困り事が起こるのは当たり前。
下がったら上がるから、いちいち気にしない。大げさに、おおごととして捉えない。
もしかすると今までの私はちょっとした事をこの世の終わりのように捉えていたのかも知れない。