世界文化遺産の長崎教会群に行ってきた!大浦天主堂を画像付きで紹介
2016年年始に長崎教会群に行ってきました。
※2018年6月30日に世界文化遺産に登録されました!
キリスト教の繁栄と弾圧を示す遺跡、禁教時代からの崇敬地、教会群などの12の資産が登録されたようです。
その中から大浦天主堂、出津教会堂、大野教会堂、馬込教会の4つに行ってきました。この記事では大浦天主堂について書いていきます。
他の3つの教会については「出津教会堂などを画像付きで紹介」をご覧ください。
教会見学についての注意
私は観光タクシーを予約して教会以外も長崎県長崎市の観光地を回ってもらいながら見学しました。
時期的なことも有り中は見学できない所もありました。
また、中は写真撮影禁止の教会がほとんどです。
観光地から離れている協会もありますので事前に調べてから行くことをオススメします。
大浦天主堂以外の教会堂を見学するには事前連絡が必要です。
長崎の教会群インフォメーションセンターにご確認ください。
http://kyoukaigun.jp
クリスマス時期から年末年始にはイルミネーションも綺麗な大浦天主堂
大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)
長崎市南山手町
正式名称「日本二十六殉教者聖堂」
1597年に長崎で殉教した二十六聖人に捧げられたもの。
殉教地は外国人居留地外だったため、その場所には建てられず居留地の隣に、殉教地に向かって建てられました。
ジラール神父がヒューレ神父を派遣し、後に加わったプティジャン神父が後を継いで完成させました。
←左の画像はプティジャン神父の像
長崎で一番メジャーな教会かもしれません。
クリスマス〜年末年始頃にいくとイルミネーションが見られるかもしれません。
昼間と違う雰囲気が楽しめます。
日本最古のゴシック様式の教会を建てた日本人
大浦天主堂を建設したのは熊本県天草出身の棟梁、小山秀之進さんでした。
従来の日本の建築技術を駆使し1864年36歳の時に建設しました。
小山秀之進さんは他にも長崎居留地のグラバー邸やオルト邸、リンガー邸など
今では国の重要文化財になっている建物を建てられています。
洋風建築の先駆者だと言われています。
新しい様式の建物を建てるというのは、いろんな挑戦があったのかもしれません。
1879年には聖堂を包み込むように増改築されて面積が約2倍になっています。
1945年爆心地から4km離れていた大浦天主堂は原爆の爆風で
屋根や壁、ステンドグラスが割れてしまいました。
現在の天主堂は1947年~1952年に修復工事が行われた後の姿です。
綺麗なステンドグラス
ステンドグラスはとても綺麗で内部の撮影は禁止だったので画像はありませんが拝観する時に頂けるパンフレットにも掲載されています。
代表的なステンドグラスは「十字架上のキリスト」(幅1.5m・高さ3m)
このステンドグラスは天主堂の建立を記念してフランスのマン市の
カルメル修道院から寄贈されたもので、
現在は写真を元に描いた復元図でパリのロジェ商会に発注したものが飾られています。
いくつかのステンドグラスは原爆や台風で何度か割れてしまって
3度修復されているため同じ色でも少しずつ違ってしまっているのだそうです。
それもまた光の当たり方が変わり、綺麗に見えるのかもしれません。
お土産屋さん
この辺りは観光地でショップなどがありました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
当時の時代背景や建築技術から見てみるのも面白いですね。