心の反応と体の反応。
例えば、熱いものを触って「熱っ」って手を引っ込めたとする。
その反応に対しては
- 熱って思ってしまった
- 手を引っ込めてしまった
- 熱って思ってはいけない
などと落ち込んだりしないんじゃないかな?
触ってしまった事に対して不注意だったと反省するかもしれないけど。次は気をつけようと改善策を練れる。
心の反応にはジャッジが入る
同じ温度でも大丈夫な人と熱いと感じる人がいるように感度が違うということもある。
人と比較できるものがあると、あの人は熱がっていないのに自分は弱いんじゃないか?とか思ったりする。
そうして比較や心の反応になると善悪や正誤のジャッジが入る。その評価にまた反応する。だんだん問題点がずれていく。
たぶん、今までに
- それがダメな事
- 表現したらいけない
- 人と同じがいい事だ
などと学習してきて、自分でマイルールブックに書き込んだんだろうね。
体と同じで心の反応も起きて当たり前。
どう反応するかも人それぞれ。
だから心の反応にも体の反応と同じように対応したら良くて。
熱いは熱いで完結してるように「感情は生じるもの。以上。」って感じ。
自分はこういう事にこういう反応が出るんだな〜[完]って。
ジャッジしないだけでも感情に振り回されてなくなっていく。
その余韻は残像
熱さで手がじんじんするように余韻はしばらくあるかもしれない。
その余韻に対して注目すると長引くのかも。でもその余韻は残像で今起こっている事が原因じゃない。
ジャッジって感情の波を自分で押したり掻き回して大きくしてる感じがする。
じんじんが気になって触り過ぎて腫れちゃうみたいな。
感情は気付く材料。
自分怒ってるな。〇〇を傷つけられたからか?〇〇を大事だと思ってたんだなって気付く材料になったりする。
自分にジャッジしなくなったら他者が怒っていても、この人はこれを大事だと思っているのかな?って糸口が見えるかもしれない。
自分とは違うことに反応したりするから何に反応したのかわからなかったりもするし、自分自身が怒っている時も何でかわかってない時もあるよね。
外側に原因がある時や体調不良や寝不足が原因だったって時もある。
観察やコミュニケーションが肝になるんだろうな。
感情にいろんな名前が付いてるのも興味深い。