ゆりの経歴を長々と…
経歴って人それぞれで面白いな〜と思うので私の今までを仕事をメインに振り返ってみようと思います。
すごく長くなっちゃったのでお時間あるときにでも…
32歳現在、経歴を簡単に言うと
商業高校卒でホビークラフトの材料販売の会社に就職→デザイン会社に転職、退職してフリーで活動中という感じです。
学生の頃
美術の学校などは特に行かず、通信講座は受けてみましたがほとんど独学や実践で学びました。
自然や手芸・工作など何かを作ることが好き。
記憶がないくらい小さい頃、両親に連れられ美術展などにも行っていたようです。
そんな感じだからデザイナーになったと思われがちですがデザイナーを目指したわけではなく。イラストレーターは途中からちょっと夢見てた。
小学生の頃の夢はお花屋さんや手芸屋さん。
友達とノートに4コマ漫画みたいなことも描いたりして漫画家に憧れもあった。
クラスにもっと上手い子も居たし、ストーリーが考えられないので諦める。
成績は良い方だけど学校の勉強は好きではなく義務教育が中学校までだと知った私は高校には行かないとか言ってた。笑
忘れっぽく暗記が苦手なのでテストが嫌だった。人前で発表とかもド緊張。何かを考える事は好き。
高校は行ったほうが良さそうだなと思い直し、家政科を検討したが他県にしかなくあっさり諦める。
小学生の頃、ご近所物語のアニメを観て洋裁などに憧れ、近所の洋裁教室をこっそり覗きに行ったりもした。
当時、最終的に手芸屋さんになることが夢だったので商売の勉強をしようと思い商業高校に決めた。
元々手芸好きだし当時は小さな手芸屋がちょこちょこあって、おばあさんが編み物をしながら店番をしている姿に憧れたのです。
小学生の頃の国語の教科書に載っていた安房直子さんの「ひぐれのお客」が今でも心に残っている。
猫が赤い裏地を買いに来るお話で、一口に赤と言ってもいろんな赤があると。その生地のことを思うと今でもワクワクする。
親の自営業の手伝いで内職をしたり、イベントの出店を手伝ったりしていたので自分で働くというイメージは子供の頃からあった。
高校
商業科は普通の5教科に加え簿記や流通などの科目があるので5教科は普通科の人が習っている範囲より狭いです。なにそれ?知らんって思うことたくさん。笑
でも代わりに簿記とかできる。資格も結構取る。エクセルとかの情報処理の授業もある。就職するための学校という感じです。事務仕事の模擬授業のようなものもあり諸々とても役に立っていて商業高校に行ってよかったと思っています。
高校には家庭科部があったが料理がメインだったので入らず、美術部へ。この出会いも大きかったと思う。
最初の美術の先生は絵を描く方だったので部活では油絵を描いていました。
年に一回、大阪府の高校の美術工芸品を集めた作品展があり毎年出展。
↓こんなの描いてた。割と大きい。(実家の壁に飾ってる)
3年間でこれだけ入賞できた(奨励賞だったかな)
大きいから鯉?と言われるけど金魚。黒いのは出目金。
2年に上がる頃に先生が自分の絵を描きたくなったと卒業され、先輩も皆卒業されたので部員が私一人になる。
次に来られた先生はガラス工芸が専攻で私達の授業ではガラス工芸はしませんが、部活では私一人なのを良いことに部長の権限でガスバーナーやガラス棒を買い、とんぼ玉を作ったりした。(自分で買って私物で作ったりもしてた)
↓は作品展に出した「四樹」という作品。
幹はワイヤーで葉っぱはひとつひとつガラスをバーナーで溶かして作った。
美術科の高校の作品と並べられて、力の差を感じることも。
それを先生に話すと「美術に関わっている時間が違うから仕方ないよ」って。
そうか!あっちは授業でもやっているし、たぶんずっと描いてたり意識しているんだろうな〜と。
私の学校は美術の授業は3年生だけ、部活も週に2回あとは自習。時間をかける重要性を学びました。中学の私は美術系に進学するなど頭になかったので美術科の学校は調べていませんでした。
就職
高校生の就活は大学生のように一気にたくさんではなく一つずつ受けて、ダメだったら次という感じです。学校に来る求人票を見て行きたいところを選ぶ。
私はそこでホビークラフトの材料販売の会社に出会った。
当時、関東では有名で関西にはまだ1店舗しかなかった。(今はたくさんあります。)
会社について調べたり、面接練習やらいろいろあって無事就職。
販売業
高卒はまずレジ課から。ずーっとレジを打ってます。
販売も好きだし、何より好きな手芸材料にも囲まれている!
レジはお客様が必ず通る場所、何が売れているとかわかるしお客様の状況やらを観察できるので割と勉強になる。
上司も先輩方も同僚にも恵まれてとても楽しかった。
早番の日は帰りにその店で買い物。「まだおったんか!はよ帰り」と言われたり。給料を会社につぎ込むという。笑
最初に先輩から学んだのは「臨機応変」。
入社1年くらいで先輩たちや同僚、パートさんが一気に辞める時期があった。
私はとりあえずは続けていたけど、この先もずっとこの仕事をするのかを考えていて何か作ることに関わる仕事もしてみたいと思い始める。
当時は家でも油絵を続けていた。
2年目に今のタイミングというのがピンときて退職
いつだったか「10年思い続ければそれは仕事になっている」みたいな話しを聞いて手芸屋を夢に思い描いていた。
自分の店ではありませんが手芸屋さんのお仕事を経験できてよかった。
辞めて、失業保険をもらっている間、求人票を見るとイラストレーターは少なく、この先はWEBデザインの波が来そうな感じでした。(2007年頃)
割とパソコンは得意だけど家にはWindowsしかなくMacは昔ちょっと触ったくらい。遊びでホームページを作っていたけど本当にシンプルなもの。
そこで、デザインソフトの使い方を勉強しようとパソコンのスクールに通い始める。
失業中だったので民間のスクールでも教育訓練給付制度?を適用できて安く受けることができたのです。
アドビのソフト(デザインに使うソフト)の基本的な使い方を学ぶ。チラシやパンフレットなど紙のデザインだけでなくWEBデザインの授業も選択。
就職する会社によってソフトのバージョンが違うので一概に同じというわけではありませんが行っておいてよかったです。
販売業時代は祝日はなく、久しぶりの長期の休みに浮かれていた。
当時は実家だったのでしばらくのんびり勉強だけしていて祖母にはあまり良く思われていなかった。笑
スクールは数ヶ月くらいで終わり、そろそろ仕事もしないとな〜と2社くらい受けるが不採用。当時20〜21歳。
デザイン業へ
いつもと違う地域のハローワークにふらっと行った時に見つけたのが次就職する会社でした。
求人の応募でまず書類とポートフォリオ(作品集)を送る。
今まで書いていた油絵やスクールの課題で作った作品などをまとめ、ほとんど載せるものもないので手芸作品も載せてみた。
なんと!書類審査は通って、面接に。
他にもなにか作品があれば持ってきてほしいと言われましたが何もない。
その企業がキャラクター文具のデザインなどもしていたので見た目がしっかりしているノートを買って全ページにひたすら動物などのオリジナルキャラクターを思いつくまま描いて持参。
デザインの未経験の私、面接ではダメかなと思っていた。デザインやイラストのレベルは達していないと言われたし。
帰ってから高校の習慣で普通に面接のお礼状を書いて出した。すると会社から電話がかかってきて、お礼状が届いたのは初めてだと。
イベントで自社グッズの販売もしていて、まずはその売り子で出張してもらうけどそれでもいいならということで無事に入社できました!
販売スキルがすでにあったから雇ってもらえたという。
あと、ソフトの使い方も勉強していたし、当時は少なかったWEB系を触れたのも大きかったようです。
デザインやイラストなどのセンスについてはまだまだだったのでそこから先輩たちや世間が良いと言うものを観察したり、それに合わせていった。
デザイナーの好みと世間の好みはちょっとズレがあり、完全にデザイナーの好みで作ってしまうと万人受けはしなかったりします。
そのデザインするものが、どこで何に使われるかによって変わる。
美術大学を出た後輩たちもたくさん入ってきたけど「自分の好きなように描けない」という理由で続かなかったりした。その点がデザインとアートの違いでもあるかなと思う。
デザインなど依頼があって受けるものはお客様の要望に合わせる必要がある。
いくら自分がいいと思っても納得させられなければ使われないのです。
その後、7年働かせてもらい、ちょっと日々納期に追われるのが辛くなったのと祖父が癌になり、そのサポートをするのもあって退職。
フリーランスになる
この時点では実家を出て、近所に住んでいました。次の仕事はデザインじゃなくてもいいかな〜と思いつつ。
個人的にネットビジネスを勉強していたグループで退職した話をしたらお仕事をいただけたり、いろいろご紹介をいただいて、それならちゃんと開業届を出して個人事業主としてやろうとフリーのデザイナーになりました。
フリーになって独立セミナーのようなものも参加してみたりいろいろ本を読んだりした。
この記事の一個前の記事(私の3ヶ条)で紹介したスクーでもビジネスの勉強等ができました。冒頭で勉強が嫌だったと書いたけど自分が使うことなら勉強自体は好きみたい。
デザイン会社時代は帰り道に本屋があって毎日寄ってた。自己啓発系も好き。学生時代は図書館に居るのも好きだった。なので本屋さんになるのもいいなとも思ってた^^
会社を辞めるとデザインスキルの情報が入りづらかったり、自分で判断しないといけない部分がほとんどなので他の人の情報はとても助けになった。
始めてすぐは貯金を崩す日々。徐々に生活できるようになる。
私の場合は企業様と契約させていただいているのでほとんど営業をしなくても大丈夫な感じです。
家で仕事ができるのも自分に合っていたし、納期さえ間に合えば休みはいつでも取れる。そして全部自分の責任で判断できるのも個人的に楽です。
祖父について
フリーランスは祖父の病院の付添なども都合をつけやすいので助かった。
祖父は入退院を繰り返し、80歳を超えていて本人の希望などもあり延命処置はせず最終的に自宅で訪問看護を受けていた。
最後は家族に見守られて天に旅立っていきました。
あの時辞める選択をして、フリーになったおかげで後悔のない時間を過ごすことができた。
私がどの仕事に就いたときも信頼してサポートしてくれていろんな話をしてくれた。祖母は心配性なので反対もありましたが祖父が居てくれたおかげです。
祖父も別の意味での心配性なのでちょっと残業したら着信が鬼のように入っていて駅までこっそり迎えにきたり…(20時くらいでも祖父母からすると深夜)
祖父もかつて鉄工所を自営していて、私が物心つくころには退職していたけど祖父の背中も見て育った気がします。
亡くなってからはたまに夢に出てきて伝言を頼まれたり、話したりすることも。
これから
今、フリーになって5年目です。
元から家でのパソコン作業が主なので自粛中も変わらず仕事をしていました。
今回はライフラインが無事だったので大丈夫ですがもし電気が使えなかったら、私は何もできなかったでしょう。
これから世の中も大きく変わりそうです。
当たり前も変わっていく。私自身も節目のような感じもしています。
今までデザインが本業と言ってきましたがこれからは本業副業とわけず、その時思ったやりたいことを気軽にやってみようかなと思っているところです。
書いて思いましたが既にやってみたいことはやって来ていますね。笑
思い描いた夢のようにのんびりではなく忙しく激動でしたが。
「仕事」をするぞ!と力み過ぎず、自然体でやっていきたい。まだ具体的に何をやるかはわかりませんが。
学校では友だちに教えたり、会社で教育係もやっていたので教えることも好きです。
高校時代に出会ったガラス細工も今は小さな電気釜で溶かしてパーツを作りそれをアクセサリーにする試みをしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
いろんなご縁でここまで来れたな〜と思います。本当にありがとうございます。
おわり。